デリダ
友人たちはデリダを「人当たりがよい」とも「極めて温厚だ」とも形容していたが、アヴァンギャルドの建築家・ピーター・アイゼンマン(パリのある庭園のデザインのためデリダとコラボレーションを組んだ)は次のように証言する。「デリダは、『ヘイ、ジャック、ビールでも一杯やりに行こうぜ』と声をかけられるような男ではなかった」。デリダ自身、講義を始めるとき、次のように言っていた。「おお友よ、友はいない」(アリストテレスのものとされる言葉)。彼の友愛に関するセミナーは、最近では、「カニバリズム(食人)のレトリック」の検討を行うというものになっていた――カニバリズムは友人とひとつになろうとする究極の試みである。
デリダは言う、自分に関する最もよくある誤った見方は「何も信じず、何ものも意味を持たず、テクストは意味を持たないと考えているニヒリスト」というものであるが、そんな見方は愚かしい上に、まったく間違っていると彼は抗議していた。
NYタイムズ
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デリダが告白するところによると、若いころにはサッカー選手になりたいと思っていたそうだ。そしてニュースから昼メロまで観る大のテレビ好きだとも認めていた。「じぶんが観ているものに対して私はクリティカルですよ」とおどけて誇るような様子をとってみせながらデリダ氏は言った、「私は常に脱構築しているのです」。晩年のある時、デリダは脱構築とはなんであるかと、それまで何度もあったように、たずねられた。「なぜあなたは物理学者や数学者に難解さに関してたずねないのでしょう?」と1998年、NYタイムズの記者ディニシャ・スミスに冷ややかに答えていた。「脱構築は何の苦もなく理解できるものではありません。もし脱構築がそれほどまでに解しがたいものならば、なぜわたしの講義には何千人もの人がくるのでしょう?彼らはより理解できるくらい理解していると感じているのです。」
同じインタヴューのなかで、少なくとも脱構築を定義してほしいと頼まれるとデリダ氏は言った、「それに答えることはできません。わたしにできるのは、自分をけっして満たすことはないようなことだけです。」
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